数の単位
(NO2)

数の単位は、わずかな単位を表す形容詞としても日常しようされている。

1から小さくくだれば

割 わり 「元高の十分の一」という意味につかわれる。従って単位からは除外した方が無難である。
割に合わぬ損をするなどに使われる
分 ぶ [算経]に一の十分の一とある。しかし、何割何分何厘というときは、割の十分の一で、一の百分の一にあたる。
分=歩。分にまわらぬ 利回りにならぬ
厘 りん 分の十分の一。ただし、何割何分何厘というときは、千分の一、割の百分の一に使われる。
毛 もう 千分の一のこと。ただし、何割何分何厘何毛というときは、一万分の一に当たる。
例え一厘一毛であも
糸 し 古字は絲で、いとのこと。 毛よりも細い糸の事らしく毛の十分の一つまり10-4を意味します。
「算法統宗」によれば、分厘、毛、糸、忽、微とくだっていくとある。
忽 こつ 「たちまち」「ゆるがせにすること」という意味があるが、現代では一円玉が落ちていてもゆるがせにする。
値打ちが下がったものだが。
十万分の一、10-5 [集顔]に、十微を忽、十忽を糸という、とある。
微 び かすかなこと、ほのか、という意味からきたものか。忽の十分の一。
[算経]に十織を微といい、十微を忽という、とある。
微に入り細にわたり
織 せん ほそいこと、といってもよほどほそいのであろう。
一の千万分の一。10-7.
[算法統宗]によれば分、厘、毛、糸、忽、微、織、沙、塵、挨とくだっていく、とある。
繊細
沙 しゃ すなのこと、それも極めて小さい砂のこととある。
一億分の一、10-8 というからさもあろう。
[謝察微算経]には、十塵を沙となし、十沙を織となる、とある。
塵 じん ちり、ほこり、つしけむりのことで、よほどこまかいほこりと思われる。
十億分の一だから、10-9つまり少数以下九位の数である。
[算経]に十塵を沙となす、とある。
挨 あい ほこりのことだが、塵よりもまだ小さいほこりのことであろう。
百億分の一で10-10。ずいぶん小さくなったが、(九数通考)に、十渺を挨となし、十挨を塵となす、とある。
渺 びょう きわめて小さいさまとあるが、ここまでくると、もう顕微鏡でも見えない感じ。
千億分の一で、10-11。[算経]に、十漠を渺となし、十渺を挨となすとある。
漠 ばく ひろくてとりとめのないさまとあるが小さい粒子だから漠として分からない、ということなのであろう。
一兆分の一、10-12広漠たる原野
模糊 もこ ぼんやりしたさま、文明でないさまである。[塵却記]には、漠の十分の一で10-13
逡巡 しゅんじゅん しりごみすること、月のかさ、とあるが、案外に月のかさのぼんやりとした様子からきたのかもしれない。模糊の十分の一で、10-14
瞬息 しゅんそく きわめて短い時間。
弾指 だんし 指をはじく間、一弾指の間に二十瞬はできるというから、順序が逆じゃなかろうかとおもうのだが、
瞬息の十分の一で10-17
刹那 せつな ごく短い時間のことをいう。指をはじく間に六十五刹那があるというから、想像もできない短い時間である。弾指の十分の一で10-18
六徳 りつとく 極めて小さな数、刹那の十分の一で、10-19。どうして六徳がこんな小さな単位になったのかは分からない。ちなみに妻としての六徳は、柔順、清潔、不妬、倹約、恭讃、勤労といっているが、現代にも通じるかどうか。
空虚 くうきょ 文字どおりなにもないこと、からになることといえば0のことかと思わせるが、六徳の十分の一、10-20
清浄 せいじょう 清くてけがれのないこと。数も小さくなればなるほど清浄になるらしい。
その辺のいきさつは分からないが、空虚の十分の一で10-21



わが国ではJISにSI(国際単位系)の導入を決め、計量法でも国内的事情を加味しながら順次可能なものから
導入している。西欧のギリシャ文明に対して、インド、中国文明はこれまた壮大な数の単位をつくりあげている。
漢数字の単位語は、古くから渡来していただけに日常用語にも多く利用されている。

福岡総合銀行が出した資料によって紹介すると

1から大きくのぼれば

十 じゅう 蛇足ながら、公文書にはまちがいを起こさないように拾と書く
百 ひゃく 陌と書くのは拾と同じデン。
千 せん 阡と書くのも拾と同じデン。
万 まん 千の十倍にある
億 おく 万の万倍であること。
兆 ちょう 億の万倍をさすことは先刻
京 けい このあたりから、だんだん分からなくなる。
普通の辞書をひいでも、高い丘、大きい、さかん、みやこ、などしか分からないが、[大平御覧]によれば、
兆の一万倍に当たる数字だから1015
垓 がい 京の一万倍、すなわち1020。[算法統宗]がつくられた時代からの数だそうだから、起こりは日本の建国近くのころになるのではないだろうか。昔の人は、子孫のためにこんな大きな数を工夫してくれた。
ありがたいものである。
柿 し 垓の万倍、すなわち1024
穣 じょう 壌とも書き、柿の万倍、1028で一の次に0が二十八くっつく
溝 こう 壌の万倍だから1032になる。[数術記遺]に、黄王が億、兆、京、垓、柿、穣、溝、澗、正、載の十等の数を定めたというから、日本の建国より古い時代になるらしい。
澗 かん 溝よりは大きいし、つきることがないというわけか。溝の万倍にあたるというから1036
正 せい ただしいこと。それが数字にどうつながるのかは分からないが、澗の万倍で1040
載 さい のること、のせること、これも数字にどう関係があるのか分からないが、正の万倍で1044
極 きょく 載の万倍で1048。きわまりだから、ここでおしまいにしようという考えだったのだろうが、それではすまなかった。
恒河沙 ごうがしゃ 仏典、王維の六師能禅師碑、に出てくる言葉で、恒河はガンジス河をさし、沙は砂のこと。
つまりガンジス河の砂のように、無数無限であることを意味している。極の万万倍というから1056
阿僧ぎ あそうぎ 数えることができないほどの大きな数を意味しているが、恒河沙の万万倍ということで1064とした。
那由他 なゆた 非常に大きな数。阿僧ぎの万万倍というから1072
不可思議ふかしぎ ここまでくれば、もう不可思議とさじを投げたらしい。1080
無量大数 むりょうたいすう 「はかりしれないこと」とあり、これでようやくおしまいというわけ。
不可思議の万万倍にあたるということで、1088